カーポートの1樽から始まった、サンタクルーズの「謙虚な海」
ハンブル・シー・ブルーイング(Humble Sea Brewing Co.)は、米カリフォルニア州サンタクルーズのウエストサイド、スウィフト・ストリート(Swift Street)に拠点を置くブルワリーだ。コースタルな「Foggy IPA」で名前を知られ、いっぽうでデコクションを使い込んだピルスナーやヘレス、ペイストリースタウト、樽熟成サワーまで手を広げている。サーフとデザインの遊び心と、仕込みを細部まで詰める生真面目さを持ち合わせる。
サンタクルーズ郡で生まれ育った創業者ニック・パブリーナ(Nick Pavlina)にとって、海はずっと生活の一部だった。彼がこのブルワリーを思いついたのは、プレジャーポイント(Pleasure Point)で海の数ブロック先に暮らし、自宅でビールを仕込んでいた頃。「何をするにも謙虚(humble)でいたい」という気持ちと、海(sea)への愛着を結んで「ハンブル・シー」という名を考えた。最初はホームブルーの別名にすぎなかったが、もし醸造所を開くならこの名前にしようと決めていたという。
カーポートと$10,000、120レシピの試行錯誤
醸造の入り口には、父の存在がある。父は1970年代にチコ(Chico)でホームブルーのクラブに入っていた。ニックがチコ州立大を出て実家に戻ると、地下には父の古い醸造道具が残っていた。最初の一杯は、その古い設備で仕込んだペールエールのキットビールだった。そばには、父がかつてオレゴンまで買い出しに行ったというカスケード・ホップの袋まで残っていた。チコでシエラネバダ(Sierra Nevada)をはじめとするクラフトビールの先駆けに囲まれた経験も大きく、ニックはすぐにのめり込んでいく。2012年にはアメリカン・ブルワーズ・ギルド(American Brewers Guild)で正式な醸造教育も受けた。
転機は2014年の自分の結婚式だった。約300人の参列者のために10ガロンを7バッチ自作したところ、「これは仕事にすべきだ」と何人にも背中を押された。当時ニックと妻は義理の祖母の家に住んでいて、自宅醸造の道具もそこにあった。郡の用途区分を調べると、その土地は馬小屋やワイナリーと同じ「ホーム・オキュペーション(自宅で営む小規模事業の区分)」に該当し、自宅でも醸造の許可が取れることがわかった。ブルワリーでの申請は前例がなかったが、郡の担当者も「まあ、いいだろう」と応じ、酒類製造を認めるABCライセンス(カリフォルニア州酒類管理局の許可)が下りた。
ここからが、いまもファンや取材で繰り返し語られる「祖母のカーポート」時代だ。15ガロンのホームブルー設備を1バレル(約120L)規模へ上げ、週5日のペースで1年間に200バレル(延べ約2万3千L)を仕込んだ。スウィフト・ストリートの10バレル(約1,170L)店舗を建てながら、その横で1年に約120種類のレシピを試した計算になる。開業資金は誰も持っておらず、家族や友人から集め、町で2樽売った程度の実績しかないなか、銀行からSBAローン(米中小企業局が保証する事業者向け融資)まで取り付けた。法人としての出発は2015年、祖母宅からの販売が2016年、そして店舗の最終許可が下りた翌日――2017年のセントパトリックスデーに、スウィフト・ストリートのタップルームを開けた。以来、この日が毎年の「誕生日」になっている。
ニック、テイラー、フランク、それぞれのレーン
ニックは早い段階で、自分はビール造りに専念すると決めていた。バーの運営もブランディングも畑違いだったからだ。そこで声をかけたのが、地元で古くからの付き合いがある2人だった。南米から戻ったばかりでデザインとブランディングに強いフランク・スコット・クルーガー(Frank Scott Krueger)、バーやレストランの経験を持つテイラー・ウェスト(Taylor West)。2人とも最初は「自分は具体的に何をするのか」とためらい、合意までには時間をかけて話し合ったという。
ニックがビールの創造的な面を、フランクがブランディングとマーケティングを、テイラーが販売・小売・バー運営を担う。それぞれが自分のレーンを走るからこそ、ニックは麦汁とホップだけを見ていられる。ニックいわく、良いビールの後ろには良いデザインがあり、どちらも体験の一部だ。近年は醸造運営をネイト・チェッサー(Nate Chesser)が支えるなど、3人だけでなくチームで回る規模になった。約10年で約100人の雇用を生んだことを、ニックは最も誇らしいことの一つに挙げている。
プリニーのクローンから生まれた「Foggy IPA」
ハンブル・シーの代名詞である「Foggy IPA」は、彼らがヘイジー系IPAに付けた独自の呼び名だ。祖母宅でニックが造っていたのは、もっぱらジャーマンラガーだった。パートナーたちは「誰も欲しがらないラガーばかり造るな、みんなが欲しいのはIPAだ」と迫った。ヘイジーIPAが何なのかもよく知らなかったニックは、長年改良してきたプリニー・ジ・エルダー(Pliny the Elder)のホームブルー・クローンに、オートフレークと小麦、そして大量のCitraを放り込んだ。これが定番のソックス・アンド・サンダルズ(Socks & Sandals / Foggy IPA / ABV 6.5%)の原型になった。当初は「バイコースタルIPA(Bi-Coastal IPA)」と呼んだが伝わらず、海沿いの霧(fog)にかけて「Foggy IPA」と名づけ直した。Cホップ主体の旧来ウエストコーストIPAを、少しだけ柔らかくした折衷。それがそのまま個性になった。
ハンブル・シーのFoggyを支えているのは、水と発酵の組み立てだ。これだけ精緻なラガーを造るのだからRO水を使っているはず、と思われがちだが、実際はIPAも含めて、もともと極端に硬くない地元の水をカーボンろ過して使い、ブルーイングソルトだけを調整している。Foggyでは塩化物の比率を高めにとり、ごく薄い塩味で果実の輪郭を引き立てる。発酵には基本的にヘイジー向けのLondon 3酵母を使い、約19℃で進める。ドライホップ(香り付けのホップ追加)は2回に分けることが多く、2回目はタンクを密閉して圧力をかけ、発酵で生まれる炭酸ガスをそのまま溶け込ませる。仕上げに全銘柄を遠心分離機にかけて澄ませる。Citraを筆頭にSimcoe、Nectaron、Centennialがよく登場するが、ホップは毎年自分たちで選び、収穫期にはヤキマの産地に出向く。近年はニュージーランドやオーストラリアの畑にも足を運んだ。

観光客いじりと、海への恩返し
ラベルとブランドの空気は、ハンブル・シーをひと目で見分けさせる。自分たちを真面目に捉えすぎず、サンタクルーズの観光客文化やサーフ文化を茶化した「kooky(おどけた)」な名前と、サイケデリックなサーフの絵柄。この振り切れたデザインが、缶のデザイン賞や「America's 12 Most Compelling New Brands」への選出につながった。もっとも初期はポップカルチャーのもじりに寄りすぎ、ハリー・ポッターをもじった「Wizard of Fog」などでワーナー・ブラザースから約30銘柄分の警告を受け、ポスト・マローンやボブ・ロス(「Fog Ross」)、セールスフォースからも同様の通告が届いた。以後は、ふたたびサンタクルーズの観光客やサーフ文化を茶化す名づけに立ち返った。看板のソックス・アンド・サンダルズも、地元の観光客がよくやる“靴下にサンダル”のいでたちにちなんだ名前で、自分たちのビールもそれくらい定番になればという願いが込められている。
その遊び心の裏に、地域と海への姿勢がある。「自分たちがここにいられるのはコミュニティのおかげ」という考えから、創業まもない頃から非営利支援のイベントを数多く開き、セーブ・ザ・ウェーブス(Save the Waves)やセーブ・アワ・ショアーズ(Save our Shores)といった海洋保全と結びついてきた。「海は自分たちの裏庭だから、できる限り守る」とニックは言う。コラボレーションの流儀も独特で、レシピは事前に固めてしまい、当日は相手をサーフィンやマウンテンバイクに連れ出すなど、サンタクルーズの文化ごと共有することもある。
小さく、速く、いまも更新し続ける
コロナ禍では、いち早く直販のオンラインショップを立ち上げた。フランクらが24時間で組み上げたサイトに注文が殺到し、2020年は生産量とチームを倍にして過去最高益を出した。その後の市場の調整局面でも、品質を「North Star(指針)」に据えれば生き残れる。そう信じて続けてきた。近年はラガーや低アルコールのビールにも比重を移しつつ、サンタクルーズを中心に複数のタップルームを運営し、2025年にはサンフランシスコのピア39(Pier 39)へと足場を広げた。山あいのフェルトン(Felton)にある「タヴァン」のように、必ずしも海沿いではない個性的な空間も持つ。いまでは郡内でも最大級の生産規模に育っている。
それでも本人たちは、巨大化を目指していない。当面は北カリフォルニアとベイエリアを中心にした、小回りの利くリージョナルなブルワリーでいたい。生産は緩やかに伸ばし、面白い物件があれば出店も考えるが、品質と「楽しさ」を念頭に置く。カーポートで1樽ずつ仕込んでいた頃と、いまの自分たちを比べて、ニックは迷わず「昔のほうがきつかった」と言う。住み込みで自分たちの手で醸造所を建て、その横でビールを造り続けた日々。そこから10年近くを経て、サンタクルーズの「謙虚な海」は、まだ次の一手を探し続けている。
