マーロウ・アーティザナル・エールズ(Marlowe Artisanal Ales)は、ニューヨーク州ママロネックにある小さなブルーパブだ。創業者でヘッドブルワーのザック・ロス(Zac Ross)が掲げるのは、派手さや希少性を売りにしないこと。アルコール度数を抑え、毎日飲み続けられて、どんなスタイルも分け隔てなく揃える。掲げる言葉は「No hype, no gimmicks, just beer(ハイプもギミックもない、ただのビール)」。その肩の力を抜いた姿勢が、地元の支持につながっている。
ブルワリーの名前は、ザックの亡き祖父マーロウから取られた。ロゴに使われているのは、その祖父がザックの両親の結婚式のために作曲した楽曲の、自筆の署名そのものだ。家族の遺品を整理していた兄弟が、署名入りの直筆楽譜を見つけたことがきっかけになった。ブランドの名前とロゴが、両親のために書かれた一曲の音楽から来ている。
バックヤード巡りの末にたどり着いた、自分のタンク
ザックの醸造歴は、決まったルートを通っていない。もともとは大学で創作(英文学)を学び、在学中はランナーズ・ワールド誌にフリーランスのライターとして寄稿していた、元・競技ランナーだ。卒業の年、地元ピッツバーグ近郊でオープンしたばかりのVoodoo Brewingに通ううち、「無給でいいから働かせてほしい」と申し出る。缶詰ラインから始めて、バーテンダーから厨房の切り盛りまで「何でも屋」として2年半。次にバージニア州リッチモンドの新店ジ・アンサーで、ビールの仕入れと店の運営をこなしながらアシスタントブルワーを兼ね、自分でも「醸造人生で最も濃い1年」と振り返る時間を過ごした。
寄り道もある。一度は海軍に入ろうとバージニアビーチで訓練まで受けたが、色覚異常が分かって断念。「それなら、ただ酒を造るのではなく、ちゃんと意味のある場所で造ろう」と思い直し、雑誌で見つけたコネチカット州のケント・フォールズに、知り合いもいないまま車で7時間かけて移った。農場併設のこのブルワリーで彼はヘッドブルワーになり、2年以上ファームハウスエールづくりに従事した。
転機になったのが、コネチカット州ノースヘイブンの醸造施設トゥエルブ・パーセント・ビア・プロジェクトだ。ここは委託先がコストを負担し、ブランド側はレシピを持ち込む独特の仕組みで、ザックはおよそ15ものブランドの醸造を一手に引き受けた。その傍ら、タンクが空いたタイミングを狙って自分のマーロウを少しずつ仕込んでいく。数年でマーロウは伸び、施設側から「これに専念したらどうか」と背中を押された。そこで彼はトゥエルブ・パーセントを離れ、自分のタップルームを持つことを選ぶ。
最初の店は、2022年にニューヨーク州ナイアックで開いたパブだった。ただ、この店はパートナー間の事情で半年ほどで閉じることになる。ザックが次に選んだのが、ママロネックにあった旧ディケイデント・エールズの跡地だ。隣にはビール販売の名店ハーフタイム・ビバレッジズがあり、以前より広く開放的な空間で2023年に再スタートを切った。
低ABVで全スタイル、定番からドッコウドウ連作まで
この「低ABV・バランス」という方針には理由がある。ザック自身が、各地を転々とする不安定(アンバランス)な日々を送ってきた人間で、抑えの効いた飲みやすいビールは「自分がこうありたいと願う姿への、いわば自分宛ての一杯」だと語る。
抑制の効いたバランスの良いビールを造ることは、自分の人生に意図的にバランスを取り戻す行為であり、ザック自身への『こうあるべきだ』という戒めにもなっている。
家族の名を冠したのも、数年ごとに各ブルワリーを移り歩いてきた自分が絶対に逃げないための覚悟だった。英文学を学んだ彼は、銘柄やラベルの一つひとつに物語を持たせ、「飲みながら読める物語」をつくろうとしている。
代表的な一本が、アメリカン・ペールエールのイーガー・トゥ・シェア。シトラとモザイクのホップを使い、1バレルあたり約1.4kgというしっかりした量をドライホップして、香りは立てつつも飲み疲れしない仕上がりにしている。
一方で、ザックの思想が色濃く出るのがドッコウドウ・シリーズ(Dokkōdō / ダブルIPA)だ。剣豪・宮本武蔵が晩年に書いた『独行道』全21箇条を主題に、その一つひとつを液体に翻訳していく連作で、第1作は「すべてをあるがままに受け入れる」という原則を掲げる。ブランド始動からの数年で複数種醸造された。低ABVの飲みやすさを土台にしながら、こうした作り手の哲学が滲む銘柄もあるのが、マーロウの面白さだ。
発酵を、ビールだけでなく料理にも
マーロウはビールと同じだけの熱量を、キッチンにも注いでいる。これはあとから付け足したものではない。ザックはVoodooの厨房でシェフから、辛さ・塩み・うま味のバランスでひと皿が決まることを叩き込まれ、タイ料理のフードトラックでも働いた、もともと食の人でもある。実店舗を持つずっと前から、彼は「シンプルなテイスティングルームとタコス」という店の形を思い描いていた。看板の一つがコウジ(麹)で熟成させたバーガーで、長期間かけずにドライエイジ風の深い旨味を引き出す。発酵を扱う作り手らしい食へのアプローチは外からも評価され、2024年にはBest of Westchesterのブルワリーフード部門に選ばれた。タコスとコウジバーガー、そして低ABVのビール。マーロウが大切にしているのは、肩肘張らずに長居できる空気そのものだ。